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1996年、パリにて

  • 執筆者の写真: hiroyuki yamada
    hiroyuki yamada
  • 2023年7月20日
  • 読了時間: 4分

更新日:2023年7月24日



1996-97年の在独時代、何度か行ったパリ。パリへはデュッセルドルフから21時だったか22時だったか忘れてしまったが、通称「パリバス(Paris Bus)」と呼ばれていた深夜バスで通っていた。初めのうちはずっと一人で行っていたが、帰国前頃には同じアパートに暮らしていた先輩のYさんとも行ったパリ。早朝のシャンゼリゼのど真ん中を二人で走ったっけ、そんな若かりし馬鹿をやったこともあった。


早朝にバスから出されてもまだどこもお店はやっていないし、僕はいつも観光では行かないようなセーヌ川の周辺散歩や市内あちこちの蚤の市、デ・プレ界隈ばかり。ちょこっとメトロに乗って小さな路地をひたすら歩いたり、毎回情報を仕入れては、あちこちで行われている蚤の市に行くのが好きだった。疲れたら川辺で休んだり、カフェでコーヒー。何度も通ったパリで「何が」目的だったのかは分からないが、憧れのパリで、実際に自分の手で、感覚で「何か」に触れたくていたように思う。様々な芸術が詰まった街で。


何度目かのパリで、ついに見つけた。お気に入りの界隈で一軒の本屋を見つけたのだ。10畳くらいの店舗だったとは思うが壁中、真ん中の棚にもビッチリと本が詰まっていて、棚に入っている本はまだ良いのだが、棚の前にエッフェル塔ヨロシク並みに、積まれた本本本…、本を踏まずに歩くのが精一杯だった。そこを見つける迄は一般的な本屋さんに行ったりもしたが、都会的な感じというのか何だか落ち着かなくてすぐに出て、いつも当てもなく歩いていた僕にとってすぐに落ち着く場所「行きつけの」パリの本屋さんになった。


その本屋さんはおじさんひとりで営んでいた(と思われる)。写真集らしきものを探しては立ち読み(いや、フランス語は読めないから、立ち見といったところか)、毎回数時間そこに居座っていた。おじさんは、いつも何も言うことなく、ほっといてくれた。本屋さんの向かいには日本でいう定食屋、居酒屋的な飲食店があって、庶民的な雰囲気でいつも良い匂いと、地元の老若男女の客で賑わっていた。お小遣い程度のドイツマルクも換金所でフランに替えたところで、高い物は買えないからいわゆる「掘り出し物」を探しに通っていたので、お腹が空いてもそんな楽しげな光景を横目に本を探していた。ただ、その本屋さんには隣に繋がった小さな4畳くらいの部屋もあった。その部屋だけは何故か整然としていて、入って正面には「ARAKI」さんの写真集が何冊も綺麗に表紙をこちらに見せて並べられていた。僕がそこに通いだしたのは、その理由が大きかったのかもしれない。ドイツに来る前に住んでいた札幌時代に初めて観た写真展は荒木さんの「A人生」、ヴィム・ヴェンダースの「かつて…」だった。どちらが早かったのなんてのは忘れてしまったが、僕の写真体験の入口だったことには間違いない。


帰国前に先輩Yさんと行ったパリで、ようやく本屋さん向かいのビストロでのワインでコースランチ、場所を変えてムール貝にワインで早めのディナー。酔い冷ましに入ったカフェで、先輩と充実したパリでの時間の余韻に浸っていた。店内に入ってきた花売りのおじさんから花を一輪買い、近くの席で女子3人でお喋りをしていたパリジェンヌ(大人っぽいが高校生くらい?)にパリジャン気取りでプレゼント、こちらを振り返って恥ずかしそうに「merci beaucoup.」って。僕もおそらく顔を赤くしていたはず…照れるな-恥ずかしい-(これがパリジャン気取りの性である)


通い続けたその本屋さんで唯一買った本は、セルジュ・ゲンズブール。版の大きな本で彼の顔写真が表紙、ジェーン・バーキンや子ども達、写真を中心にエッセイやCDも付いた自伝集的な分厚い本だった。本屋のおじさんに「セルジュ・ゲンズブール?」としか言わない僕に「?」という表情をして数秒「!」って顔になって、細い本の道の向こう側からこちらにやってきて、僕がいたすぐ近くの平積みの本の下の下から見つけだしたあのおじさんは凄い記憶力だったなと、今でも想っている。


ジェーン・バーキンは今頃、天国でセルジュ・ゲンズブールに再会しているだろう。

たくさんの夢をもらったお二人に心から伝えたい。

「merci beaucoup.」


Paris,1996_未発表作品より


 
 
 

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